WEB連載

女性に人気のエッセイスト・岸本葉子さんが、毎日をイライラせずに、機嫌よく生きるための具体的なヒントをお伝えします

  

第22回

「あいにく」も言われ続けると

岸本 葉子

旅館の取材をひと頃よくしていました。出かけるのは、編集者、カメラマンとその助手と私の四人。カラー写真を載せるページで、撮影が中心です。

 ある宿では一日じゅう雨。谷川に面した宿で、ロビーのそばに広いテラスがあり、晴れた日は対岸や遠くの山々が一望できるのでしょう。その日はこまかな雨と霧もかかって、白いベールに包まれたよう。

神秘的な美しさに見とれ、それを表現すべく、テラスでカメラや筆記具を構えていると、宿の人が後ろを通ります。

「あいにくですねえ。この雨で」

気の毒そうな声をかけられ、

「いえ、これはこれで素晴らしいです」

 と答えました。

次に通った宿の人とも同じ会話。その次もまた次も。

はじめのうちは、なんて親切な宿だろうと思っていました。従業員さんが皆、こちらの身になったつもりで言葉をかけてくれる。

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でも、何回も言われ続けると、しだいにめげてきます。そのつど「いえ、これはこれで素晴らしいです」と応じるのも、頑張って盛り上げているようで疲れるし、「私たちはほんとうに素晴らしいと思っているんです!」と反発したくもなる。

「あにいく」と言われても、雨を晴れにできるとか、晴れの日に出直すとかができるわけではない。私たちにとっては、今日この天候のこの宿が所与の条件で、その下で素晴らしさを見出しています。そもそも私たちは晴れの日のその宿を知らず、目の前の風景を晴れの日のそれと比べて劣るとか残念とかと思うことはないのです。今日のこの眺めを一回きりの体験として、最大限に享受している。それに水をさされるようで、「いえ、これはこれで」とうち消す声もだんだんにトーンダウン。

ネガティブな事実でも、ネガティブでない言葉で伝えたいと、前回書きました。その逆で、ネガティブな言葉を使うことで、本来はネガティブでない事実も、ネガティブな印象にしてしまうことがあります。

「あいにく」は悪気があって発せられた言葉ではないでしょう。善意か、あるいは単に社交辞令として。私もこれまでどれほど無頓着に使ってきたかわかりません。

決まり文句であっても否定的な言葉は、口にする前に少し意識した方がよさそうです。

岸本葉子(きしもと・ようこ)

1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。エッセイスト。東京大学教養学部卒業後、保険会社勤務を経て、中国北京に留学。帰国後、日常生活や旅を綴ったエッセイで新聞、雑誌等幅広く活躍している。著書に『がんから始まる』『できれば機嫌よく生きたい』『ほどのよい快適生活術』など多数。

岸本葉子公認サイト