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人口わずか七百人あまりの島根県・知夫里(ちぶり)島で、NPO法人看取りの家「なごみの里」を創設した柴田久美子さん。人生の終末期は、いのちの尊さに目ざめる瞬間なのだといいます。「看取りの尊さ」について柴田さんに伺いました。

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看取りを始めたきっかけは?

私がまだ小学生のころ、自宅で父を看取ったのです。
父は亡くなる前、みんなに「ありがとう」と言葉をかけて、最期に私の手をそっと握りしめ、「ありがとう、くんちゃん」とほほ笑んでくれたのです。父の温もりは今でも忘れることができません。
幼くして深い悲しみを味わいましたが、父の魂が私の心にもしっかりと息づいていることを知り、私の中の何かが変わりました。そして、死はこんなにも穏やかで、輝かしいものだということを心から実感したのです。
あるとき、マザー・テレサの施設がテレビで放映されました。そこでは、彼女たちの献身的な看取りによって、どんな人びとも人間らしい最期を迎えていたのです。
大きな愛に包まれながら、安らかな最期を迎えていく。それこそ私が探し求めていた「人間らしい死」の姿でした。どんな小さな施設でもいい。
私も、マザーのように献身的に生きたい。その夢の実現が、看取りの家の創設だったのです。

柴田さんは、お年寄りのことを、"幸齢者様"と表現されていますね。

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私たちに「本当の幸せとは何か」を身をもって教えてくれる方という意味で、"幸齢者様"なんですね。ところが、現代はともすると、幸齢者様が社会の片隅に追いやられてしまうといった悲しい現実があります。看取りは、家族と幸齢者の愛に満ちあふれた人生のラストステージなのに、どうして延命治療の末、苦悶して死を迎えなければいけないのか。そうした素朴な疑問がわいてきて、看取りの素晴らしさを理屈ではなく、肌身で感じてほしいと心から願うようになったのです。

柴田さんにとって看取りとはなんでしょうか?

つい先だって、ある幸齢者様の看取りをさせていただいたのですが、腕の中でぐっすりと眠るように旅立っていかれました。残される家族にとって死は、つらく悲しいものかも知れません。しかし、それ以上に、満ち足りた幸せを心から実感し、計り知れない大きな宝物を受け取れるのですから不思議です。 先日、札幌の病院に勤務する女性のホスピス医が訪ねてきて、こんな質問をされました。「看取りをひと言で言うとなんでしょうか?」。私はすかさず「看取りは美意識なんですよ」と答えたのです。肉体は、エネルギーが低下し冷たくなりますが、魂は、生まれてきたときと同じように最大限にまで高まります。その魂を次の世代へと手渡していく。それこそ、命の有り難さに気づき、家族の絆を取り戻す最高の時間ではないかと思うのです。 私たちが人生の最期に望むものは、お金でもモノでもありません。愛する家族や友人のそばで、心安らかな最期を迎えることだと思います。人生の終末期、真摯(しんし)な気持ちで向き合うヒントになればと思います。

柴田 久美子(しばた くみこ)

1952年、島根県出雲市生まれ。福岡県の老人福祉施設に勤務。 1998年、島根県の知夫里島でNPO法人看取りの家「なごみの里」を創設し、同代表を務める。 2009年、「2009毎日介護賞」特別賞を受賞。 著書に『風のようによりそって』『看取りの手びき 介護のこころ』(同佼成出版社)などがある。